ひとりごと
食べるために生きる人
2026.07.20
こんにちは。
対話じかんのあさみです。
今日は前回の対話
「どうしてがんになるの?」に
起因した内容になります。
”食べるために
生きる人” とは
まさしく少し前までの
私のことであり、
反省の意味もこめて
気がついたあれこれを
書いてみたいと思います。
食べることが楽しみ。
ご褒美も記念日も旅行も
”食べること” を
まず最初に発想する。
食べるために頑張り、
食べるために出かけ、
食べるために旅をする。
食べることが
人生とくらしの中心に
どかんと鎮座しており、
食べることが大好きなのは
もちろんのこと、
少しでも美味しいものを
食べたい。
少しでもたくさん
食べたい。と
食べることへの欲望に
完全に飲まれていた状態が
半年前までの私でした。
今だから
はっきり言えます。
「私は食べることが
過ぎて病気になり、
この不調を作りました」と。
つまり今の不調は
”食べ過ぎ病” と
呼んでもいいのでしょう。
幸いなことに
今の療法と
出会い直すことができ、
魂さんにも
助けてもらう中で、
間違った食べ方で
不調になったと
気がついたことから、
それならば
一般的な治療を
受けるのではなく、
正しい食べ方で
治したいと、
その一心で
今の食事改善を
続けています。
今回の対話を読んだ夫が
「(自分たちが)
以前のような食事と
食事量を続けていたら
確実にもっと深刻な
不調になっていたね」と
正直な感想を
漏らしましたが、
本当にその通りだと
思います。
といっても、
私たち夫婦は
あらゆる食事療法を
試してきたくらいに
好奇心が旺盛で、
(自分で言うのも恐縮ですが)
意識が低かったわけでは
ありません。
ジャンクフードや
コンビニ食を
口にすることはなく、
家での食事は
基本的に手作りでしたし、
昼食に選択するお店も
和食が中心でした。
しかしとにかく
量が多かったこと、
そして
魂さんが言うところの
「食品に盛られる◯は
過去最高量で最高濃度」
とあるように、
体の修復や浄化が
全く追いつかないまま、
長年の蓄積毒は
相当なものだったと
予想されます。
最近読んだ本の中に、
「太っている人は
カロリーオーバーで
太っているのではなく、
脂肪に毒素が
溜まっているから」
というフレーズを
読んだときは、
目の覚める
思いがしました。
加齢とともに
代謝が落ちて、
なかなか痩せないと
言う人がいますが、
もしかすると
代謝の低下だけではなく、
毒がたっぷりと
脂肪に蓄積している
結果なのかも知れません。
あれほど
食べることが好きで、
食べるために
生きていると言えるほど
取り憑かれていた
私でしたので、
長らくの不調になり、
ようやくたどり着いた
今のパワフルな食事改善を
スタートしてみたものの、
当初はこの先
どうしたものかと
途方に暮れました。
なぜなら、
いかに食べることに
多くを費やし、
食べることが人生の
大半を占めていたかを
痛感したからです。
また最初の頃は
(今までのような食事を)
食べられないなら
「生きていても楽しくない」
とすら感じました。
けれど人生から
(かつてのような)
食べる楽しみを失った今、
不食で生きている人が
いることを知りました。
1日にたった1杯の青汁で
何十年も生きている人が
いることを知りました。
また食べることを
忘れてしまうほど、
もっと大切なことがある人を
知りました。
とある
外科医の方の話ですが、
日々オペが続いて
多忙のため、
日常的に何食も
スキップしてしまう
とのこと。
前回の食事は何日前で、
そのとき何を食べたのかは
覚えていないそうです。
そのドクターにとっては
仕事が最優先であり、
食事に興味がなく
食べることがさほど
重要ではないのでしょう。
ここで多忙なドクターの
食事の不規則さを
言いたいわけでは
ありません。
何食スキップしても
何とも思わない、
むしろ仕事が最優先である
という姿は、
貪っていた私には
新鮮な驚き
そのものでした。
食べる楽しみを
完全否定するつもりは
ありません。
今でも私は食べることが
大好きです。
けれど、かつての私は
大きくバランスを
欠いた状態だったのだと
分かります。
魂さんが言ってくれた
脳内麻薬に支配されて
貪っている
実験用ラットとは、
つまり私の姿でした。
これからはちゃんとした
バランスを取り戻すべく、
「食べることは生きる中での
楽しみのひとつ」くらいの
スタンスでありたいと
思います。
今の私は
食べることに代わる
新たな好きなことや
楽しみを探すべく、
かつてやりたかったことや、
興味があることに
色々と取り組み始めました。
数ヶ月前、
私の食事改善を聞いた母が
言った言葉が印象的でした。
食事改善などは
「深刻な病気になってから
考える」というものです。
この言葉が私には
痛いほどよく分かります。
母は悪気があって
言ったのではありません。
食べることに中毒していたら
「食べ過ぎが
不調の原因ですよ」
と言われたとしても、
それに素直に従える人が
どれほどいるでしょうか。
ましてや未病の状態ならば
ほぼ不可能だと感じるのです。
母の発言は不調になる前の
私の発言です。
私なら母の発言に加えて
「だって食べることは
人生の楽しみなんだから、
それを犠牲にしてまで
我慢する必要なんてない」と
もっともらしい言い訳を
口にしていたでしょう。
食べることが
人生の中心にあった
私だからこそ、
それを失ったことで
分かることが
たくさんあります。
例えば、喫煙習慣や
多量の飲酒がたたって
不調になった人が
口にするセリフに
「◯◯を止めるくらいなら、
死んだ方がマシ」
というものがありますが、
これを私は中毒者の
言い訳だと思っていました。
もはやまともな考えが
できないほどに
中毒してしまっているから
言えるセリフなのだと。
しかしどうでしょう。
私が「食べるために
生きている」と
堂々と発言し、
「食べる楽しみが
なくなれば、
生きていても
意味がない」などと
感じてしまうほどに
紛れもない
中毒者だったのです。
魂さんが言うように、
私は強力な
サポートのおかげで、
強烈な不調になりました。
今まさにちゃんとした道に
軌道修正すべく、
本来のバランスへと
強制的にシフト
させてもらう機会に
恵まれています。
どんな中毒者であれ、
中毒を克服するのは
なかなか
難しいものがありますが、
そう思うとあそこまで
食ジャンキーだった私を
よくここまで
正気にさせてくれた
強烈な不調には
ただただ
感謝しかありません。
「食べるために生きる」を
「生きるために
少量食べる」に変える。
「食べることは
人生の喜びそのもの」を
「食べることは
人生の喜びのひとつ」
に変える。
食事改善を
スタートしたことが、
今やそれが
私の生き方を根底から
変えていってくれています。
スタートして
長い長い半年が
ようやく過ぎました。
一番苦しい半年でした。
けれど今は
開き直った心地で、
この不調を根治するために、
私の悪癖を正すために、
この先何年かかっても
いいと思っています。
不調が顕在化するのに
10年、20年も
かかるのと同じように
回復も根治も
長い時間を必要とします。
私の場合、
長年染み付いた
この悪癖を直すことが
不調治しなのですから、
当然時間が
かかることなのでしょう。
せっかく
与えられたギフトなら、
とことん活かしたいと
感じる今、
病気はこの上ない
人生の教師なのだと
分かります。
これを読んで
くれている方の中には、
これほど
食ジャンキーな人が
いるのかと驚いた方も
いるでしょうし、
自分にも
思い当たることがあると
感じた方も
いるかと思いますが、
共に生きる上での
バランスと健康を
大切にしていければと
思います。
今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。
