ひとりごと

自分に小さな喜びを与える

2024.10.07

ひとりごと 自分に小さな喜びを与える

こんにちは。
対話じかんのあさみです。


今日は
「ひとりごと」のカテゴリーで
自由気ままに
書いてみたいと思います。



今回は「自分に与える」
ということについてです。



最近、私の中で
「完全にこのあり方を
忘れていた!」
ということを思い出し、
衝撃を受けることが
ありました。

それは娘が
教えてくれたことです。


最近、彼女は
勉強に部活にと、
とても忙しい日々を
送っていますが、

暇さえあれば、
推し活をしたり、
読書したり、
絵を描いたり、
好きな楽器を
演奏したり、

新調したばかりの
自転車に乗って、
文房具を
見に行ったりと
とても充実している
様子です。



娘にとって
書店や文房具店は、
ずっとそこに
いられるくらいの
大好きスポットなのですが、

先月彼女の好きな本を見に、
2人で中古書店に
立ち寄りました。



そこで色々な本を
ゆっくり
見て回ったのですが、
私が学生時代に
何度も読んだ本や、

ずっと気になっていた
ミステリーの本、
好きな作家さんの
比較的
新しい作品などを見つけ、

娘以上に私が
ワクワクしてしまい、
そこで10冊ほど
本を買いました。



買ったばかりの
本を読んでいると、
まぁ止まらない
止まらない・・・


私にとって
読書はこんなに面白く、
夢中になれる
時間だったんだ!
とある意味、
新鮮な発見がありました。



そしてふと思ったのです。


どうして、最近の私は
これほど楽しい時間を
自分に与えて
いなかったのだろうと。


この時間を自分に与えず、
私は何を
していたのだろうと。



そう思い巡らせ
分かったことは、

愛する時間を切り詰めて、
”やるべきこと” を
優先していたということ。



学生時代は、
自由に気楽に読書を
楽しんでいたはずなのに、

社会人となり、
そんな暇はないと
読むのを止めていたり、

子育てがスタートすると
読書どころではないと、
自ら封印していたことに
気がつきました。


実用書や
仕事に役立つ本などは
読んでいましたが、

そのほとんどが
情報収集を
目的としたもので、

小説などの
愉しみ中心の本は
読んでいませんでした。



そんな時間はないと
決めつけていた
読書タイムなのですが、

考えてみれば、
電車での移動中や
ご飯が炊けるまでの
ひととき、

ネットザッピング
タイムの代わりに
本は読めるのです。



自分は、何を優先すべきと
信じていたのだろう?
と思います。


今回の再体験を通して、
自分の愛することや
小さな喜びは、
どんどん自分に与えて良い
という当然のことを
思い出しました。



本来ならば
”自分の喜び” に
自分の時間やエネルギーを
使っていいはずなのに、

私はそれらを
後回しにする癖が
ついていたようです。



私の娘は、
自分に喜びを与える
天才です。


やるべきことが
どれだけあっても、
その合間合間に
しっかり
ワクワクすることを
自分に与えています。



不思議な可愛さに溢れた
ユニークな自作のノートを
必死に作ったり、
推しの似顔絵を
下敷きに描いたり、

不安定な旋律であっても
好きな楽器を
ご機嫌に演奏したり、
ダンスのレッスン前に
文房具を見に行ったり、
友人と遊んだりしています。



そんな娘の姿を見ていると、
とても素敵な時間を
過ごしているなと
思うのです。


私にとって彼女は
自分に小さな喜びを与える
先生です。


彼女は私が忘れていた、
そのあり方、
時間の使い方を
思い出させてくれます。



私は早速、
紅茶専門店に出向き、
茶葉を買いました。

いつものように
食材買い物のついでに
茶葉を買うのではなく、
こだわりを持った
お店のものを買いました。



それから
観たい映画を予約し、
アート展に出かける
予定を立てて、
中古の本を読んでいます。


こだわり溢れる
茶葉の味は格別で、
それを飲みながら
本を読む時間は
至福そのものです。



私の場合、
大人になるにつれ、
効率を重視したり、
やっていることに
意味や結果を
求めたりする癖が
ついていたのですが、

そのあり方が
どんどん自分の人生を
味気のないものに
していたことに
気がつきました。



はっきり言ってしまえば、
美味しい紅茶を飲んで
小説を読むことに、
何の意味も
得られる結果もありません。

けれど、それは娘にとっての
ダンスや楽器演奏と同じで、
将来はプロになりたいとか、
みんなの前で演奏する
といった目的は一切なく、

ただただその時間が
楽しくて幸せなのです。



そして本当は
それだけで充分であり、
自分にとって
愛することがあるだけで
心が満たされ、
人生がぐっと
豊かになることを
感じます。



私の愛することのひとつに、
山歩きがありますが、
それ自体に何の意味も
目的もありません。


健康のために歩くとか、
名山を制覇していくとか、
登ったことを
シェアする活動を
しているわけではありません。



しかし得られる結果のために
行動することは、
本来純粋だったはずの
愉しみや喜びを
消失させてしまいます。

私はこれ以上、
自分を不自由にするのを
辞めようと決めました。



小さな喜びを
どんどん自分に与えていく。


それができるのは
私だけです。



もしかすると、
私の人生において
最優先することは
このことかもしれません。


自分を大切にすることは、
自分に小さな喜びを
与えることでもあります。



かつて思い通りに
動けていた私は、
周りのことや
やるべきことに忙しく、
自分の喜びをついつい
後回しにしていましたが、

”自分の喜びを最優先にする”
ということもまた、
今思うように動けないという
体調不良が教えてくれた
大切なあり方です。



今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。

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