実践レポート
友だちは必要か? 実践レポート① 今のままで私は完璧
2025.10.20
こんにちは。
対話じかんのあさみです。
今日は今回の対話
「友だちは必要か?」
についての
実践レポートを
書きたいと思います。
今回の対話は
友人が多く、
日常的に社交を
楽しんでいる人にとっては
あまりピンと来ない
内容だったかも
知れませんが、
私のように
あまり友人というテーマが
得意ではない人にとっては
心に届く内容だったのでは
ないでしょうか。
カフェなどで見かける
ママ友同士の
会話にいそしむ姿、
学生たちが
連れ立って出かける姿、
リタイアされたであろう
高齢男性たちの
井戸端会議の姿など、
至るところに友人という
つながりは存在しており、
基本的にひとりで
ぼんやりとしている私は
そういった存在が
いないことから、
今回の対話に
つながりました。
以前、夫との
他愛もない会話の最中に、
「私はどのような人か?」と
軽い気持ちで
尋ねたことがあります。
夫は迷わず、私のことを
「誰とでもお話しできる人」
と表現してくれました。
まさしく私そのものを
示す表現に驚き、
未だにこれ以上に
私を簡潔に表す
キーワードはないと
思っています。
幼少からの
転校トレーニングで
誰とでも話せることだけは、
身につけてきたように
思いますが、
夫は私のことを
「誰とでも仲良くできる」
でもなく、
「誰とでも友だちになれる」
でもなく、
「誰とでもお話しできる」
と評してくれたところが
ポイントであり、
このキーワードから
私の個性が
お分かりいただけるのでは
ないでしょうか。
今回の対話の中で
私が妙に
腑に落ちたところは
「私という友人がいます」と
魂さんが
言ってくれたところです。
あぁそうか。
何も友人は ”人” でなくても
良いのかと
深く納得できたのです。笑
例えば、
宇宙人の友人がいたり、
動物と会話できたり、
口うるさい
守護霊がいたりと、
対 ”人” でなくても、
つながりは存在する
ということを感じました。
「人によって人は磨かれる」
という、今まさに人間関係の
猛特訓中である
娘の悩み相談には、
娘の成長の種に溢れており、
そんな彼女の話を
聞けることは、
私にとっても
自分のあり方や
価値観を棚卸しする
絶好の機会になっています。
相談される人間関係の
ケースバイケースを
アドバイスすることで、
自分を見直したり、
未消化な痛みを手放したりと
私自身が
育ててもらっています。
「友人がいない」と自認する
私ではありますが、
とはいえ、
年に一度の誕生日には
メールをくれる
友人であるとか、
数カ月に一度
お茶する友人など、
私を大切にしてくれている
有難い存在が
数名いることは
心からの
感謝しかありません。
彼女たちの悩みや喜びは
私の一部であり、
彼女たちの言葉は
何かしらのメッセージだと
解釈している私にとって、
第三者の存在は
自分の枠を広げてくれる
貴重な存在です。
そういった意味で、
友だちという存在
そのものを否定したり、
友だちに意味はない
という考えを
持っているわけでは
ありません。
私の場合、
友人がいないのではなく、
日々会って話すような
仲良しこよし的な
友人はいない。
と言った方が
正解なのかも知れません。
ただとにかく、
ひとりの時間が
とてつもなく
居心地が良いので、
日々社交する相手が
他人ではなく、
自分にしていることで
友だちが少ないのでしょう。
母や妹を見ていると、
日々社交に忙しく、
ほぼ一人で過ごす私との差が
鮮明になるばかりですが、
”ぼっち” ラバーな私としては、
孤独もまた人生の豊かさだと
捉えており
ネガティブな感情は
1ミリもありません。
けれど未だに、
「友だちはいた方がいい」、
「友だちは多い方がいい」
といった強力な観念が
どこかにあるようで、
そのことで時折
居心地が悪いような、
漠然とした
焦りのようなものを
持っていたようです。
ただこれも
今回の魂さんの
アドバイスによれば、
「悩まなくていいことを
自ら握りしめて
苦しんでいる」という
社会的通念がある証拠
だったのだと知りました。
今回の対話を機に
長年抱えてきた、
”友だち観念” から
自由になろうと思います。
◯1ミリの嘘なく
自分を生きること
◯今の自分のままで
完璧であること
友だちというテーマは、
私の苦手科目ではあるものの、
今回あった
これらのメッセージに
救われたように思います。
友人がいても・いなくても、
結婚していても・いなくても、
子どもがいても・いなくても、
病んでいても・いなくても、
ライフワークを生きていても・
いなくても、
いかなる自分であろうと、
それらすべてをひっくるめて、
私を含めたみんなそれぞれが
完璧であることを
改めて教えてもらいました。
今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。
