ひとりごと

良かれと思って

2026.10.20

こんにちは。
対話じかんのあさみです。

今日はゆるゆると
リラックスした気分で、
今の私がまさに
感じていることについて
書きたいと思います。

テーマは人間関係で
よく見られる場面
「良かれと思って」
についてです。


私の娘は今受験生であり、
興味や機会がある学校の
オープンスクールに
参加しています。

娘を通じて知ることですが、
オープンスクールというのは
夏休みから
秋にかけてのシーズンが
ピークのようで
毎週のように様々な学校で
開催されています。

実際学校を
見学させてもらうことで
ホームページや
パンフレットにはない
”体感” が得られ、
どこが自分に合うかを
肌で感じられる
とても素敵な機会です。


娘は私と同じく
感覚派ですので、
A校の学生の雰囲気がいい。
B校の雰囲気は
ちょっと暗く感じた。などと
ハッキリと自分の感覚を
伝えてくれるので
とても助かっています。

娘が幼い頃より、
自分で選択する経験を
大切にしてきたので、
彼女の中で ”自分軸” が
育ちつつあることを
感じます。


ただ娘の周りや
私の知っている
ママたちの話を通して
知るところによると、
自分で決められない
子がいたり、

何でも先回りして
決めていく親がいたりと、
学校選びにも
様々なパターンが
あるようです。


つい先日、娘が
A校かB校のいずれかを
第一志望にすることで
迷っていた際に
「お母さんはどう思う?
どちらが私に
合っていると思う?」
と尋ねられ、

危うく私の
感じていることを
口にしてしまいそうになる
場面がありました。


私は進路において
一切口を挟みたくないと
思っているので、
どうにかそれをこらえ、

逆に娘に
「あなた自身はAを
どう感じるのか?
Bをどう感じるのか?」と
自分の感覚を
言語化するための
質問をしました。


この話を聞いて、
我が子が質問しているのに
それに答えないなんて
可哀想であるとか、

進路という大事な場面で
親が助言しないのは
不自然と感じる方が
いるかも知れません。


けれどもし仮に私が
A校がいいと言ったら、
しっかり自分の意見や
考えを持っている
我が子であっても
90%の確率で
A校を選ぶと思います。

ただA校であれB校であれ、
実際その学校に通うのは
娘であり、
彼女の進学先なのです。


たとえ親であっても
何でも子どもの人生に
口出しして良いという
特権を持っているわけでは
ありません。

親のコントロールほど
強力で巧みなものは
ありません。


それは我が子の人生を
左右するほどの
影響力を持ち、
時にはそれが呪いに
なることすらあります。


「我が子を愛するがゆえに
何かをしてあげる」という
理屈も分かりますが、
親が子に愛情を持ち、
子もまた
親を好きでいるなら、

この愛情というものが
隠れ蓑になり
本質が見えにくくなる
危険性があります。


あくまで例え話ですが、
親がA校が良いと思う。
何故なら我が子には
A校が合っていると思うし、
私ならA校に行きたいし、
その先の進学先や偏差値も
A校の方が良いから。
安価だし通わせやすいから。
などと

あらゆる理由でもって
ついつい、
A校に誘導したり、
我が子を思って
A校を勧める。


それと同時に、
子は子で親が好きだし、
親に愛されようとするし、
親の愛に
なんとか応えようとして
自分の本心より親の選択
(この場合A校)を
優先してしまう。

今まで繰り返し
親の期待を優先することで、
自分の本心や望みが
分からなくなっている。


こういった姿を
自分自身の経験や
周りの親子を通じて
たくさん見てきました。

親が子を愛するのは
良いことであり、
いくら愛しても
良いとばかりに、
愛が過ぎてしまう
親子関係も
多く見てきました。


私は本当に娘を
思っているからこそ、
あえて突き放したいし、
できる限り
手をかけたくありません。

自分で考え、
自分で選択し、
自分で行動し、
自分で責任を取る。という
このプロセスを
体得して欲しいと
思っています。



今回の学校探しで、
見学のために
一緒に同行はしていますが、
私の意見は
1度も口にしていません。

ふいに口をついて出る
感想であっても、
こういったタイミングでの
親の意見は
子の純粋な選択の
サポートにはなりません。


私は同伴者であっても
指導者ではないと心に留め、
娘の考えや感覚に
耳を傾けることを
大切にしています。

こういった姿勢は
私が個人的に大切にしたい
あり方ですので、
これを評価されたいとか、
周りにもこうしてもらいたい
といった考えはありません。


しかしどうでしょう。

このように娘の人生には
極力口を出さないように
気をつけている私ですが、
それでも身近の人が抱える
問題を目にすると、
つい口を挟みたく
なってしまいます。

良かれと思って
忠告したくなるような、
妙な衝動が
起こってしまうのです。



大病を患っている人に
私の知っていることを
伝えたい。
人間関係でトラブルを
起こしている人に
解決のアイデアを伝えたい。

夫婦間や親子間で
行き詰まっている人に
こうした方がいいと伝えたい。
などなど、
私の中にこれほど多くの
お節介が隠れているのです。

それが身近な人で
あればあるほどに、
この ”良かれと思って” が
立ち上がってきます。



この ”良かれと思って”
という接し方は、
単に自分の正しさを
押しつけている場合は、
相手もそれを感じ取り
受け取りませんが、

お互いに思いやりや
愛がある関係では、
その愛があるからこそ
見えにくくなる
とても厄介なものです。 


私は物心ついたときから
数え切れないくらいの
この ”良かれと思って” を
押しつけ、
押しつけられ、
翻弄されてきました。

今や ”良かれと思って”
というものが、
人間関係における
厄介なもの
ベスト3に入ると
思っているくらいです。笑


皆さんの周りにも、
こうした
”良かれと思って” の場面を
見かけることは
ありませんか?

もしくは、
私のようにそれを
してしまう経験や
衝動を持ったことは
ないでしょうか。


次回の対話では
このことについて
尋ねてみようと思います。

今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。

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