実践レポート
正しさという病 実践レポート① 自分にある戦いを手放す
2024.12.16
こんにちは。
対話じかんのあさみです。
今日は今回の対話
「正しさという病」
についての
実践レポートを
書きたいと思います。
Beの中で
一番重たいものは、
”自分は正しい”
というあり方であり、
それが厄介な現実を
引き寄せているということ。
そして
Have(所有物)の片づけで
要となるのは、
生き方を決め、
感情を手放すといった
内面が片づいている
ということ。
これらを聞いて、
いかに自分の内面が
現実を創っているか
ということを
改めて知る
対話となりました。
魂さんは
”自分は正しい”
という観念を、
「死に至る病」とまで
表現していましたが、
死ぬまでずっと
正しさの証明に奔走し、
正しさをかたくなに
握りしめていた結果が、
時として物質化し、
ガンや腫瘍を
作ってしまうならば、
大げさでもなんでもなく、
死に至る病と
言えるのでしょう。
国同士の戦争、
宗教間の争い、
派閥やグループ
といった単位、
夫婦や親子、
家族間、
友人や知人間の
ケンカなど、
あらゆる戦いは、
すべて
”自分は正しい” という
Be(あり方)が
生じさせているものであり、
一人ひとりの中にある
このBe(あり方)を
手放せたときに、
ようやく戦いや
争いといった周波数から
距離を置けるのでは
ないでしょうか。
対話の中で、
魂さんは私の
”異なることが好き”
というあり方を
評価してくれていますが、
これは
私が元々持っている
個性というべき
かも知れません。
また経験として、
幼い頃より
引越しを繰り返し、
いくつかの町に
住まうことで、
その土地の学校や友人、
つながりと
出会ってきたことから、
自分の中での
”基準” というものが
曖昧なのでしょう。
そして
自分でも占ったり、
身近にも占う人が
数人いる中で、
それぞれの人に
それぞれのプログラムがある
ということを
徐々に
理解してきたことが
その個性をより一層
強化してくれたのだと
思います。
とはいえ、私自身、
夫への不満や
ちょっとした口論などが
全くない訳ではなく、
過去にも
姉妹での言い合いや
親子ゲンカ、
周りの人の争いに
巻き込まれるなどの経験は
もちろんあります。
そして
魂さんの言うように、
自分の正しさ証明のために、
ものの見事に
厄介なあれこれを
引き寄せている人が、
思い起こしてみるだけでも
身近に数人
存在しています。
例えば、上司や同僚は
分からず屋だと
いつも言っている知人は、
いくら異動があって
メンバーが変わっても、
いつも会社での人間関係に
不満いっぱいに
怒っていますし、
運転中は人格が
変わったように
強気になる知人は、
絶えず周りの
ドライバーをジャッジし、
割り込みや
信じられないような
危険運転をされたりと
戦いは至るところに
存在しています。
けれど、こういった話を
見聞きしても、
「そんなに
戦わなくていいのに」などと
判断する私はいません。
こういった人たちの
体験を通して、
戦うことで、
更に戦いが生まれることを
知ることはできますが、
それを行っている人に対して
フラットに見ている
私がいます。
自分の正しさ証明を
している人に、
それは間違っていると判断し、
こちらの正しさで反論する
”正しさ合戦”
のようなことは
できるだけ避けたいものです。
私の場合、
今までの経験上、
多数の人に
「この人が苦手」
と評されている人と
会話することも
全く苦ではなく、
苦手と思われている
ポイントがあっても、
人によっては
この言い方や行動が
反発を生むのかなと
感じるまでで、
私の持つ
狭小なものさしで
判断を下したり、
好き嫌いを
決めることはなく、
この人はこの人で
完璧だと
本気で思えるのです。
私を含め、
正しさの病は
程度の差こそあれ、
誰にでもある病だと
思います。
とはいえ、
1グラムたりとも残らず
”自分は正しい” を手放せたら
どれだけいいでしょう。
想像しただけでも、
その軽やかな感覚に
ニヤニヤしてしまいます。
私自身、
全く完璧などではなく、
むしろ他の人から見れば
厄介で理屈っぽい面が
ある一方で、
感覚的で
直感を貫くことも多く、
面倒くさい人間だと思います。
けれど、
私は私が持っている
このいびつさや欠けを
肯定しながら
生きていくしかありません。
ただひとつ
大切にするならば、
自分は全く正しくなく、
周りを判断するには
及ばない存在であると
知っている方が
身軽だと感じます。
”自分は正しい”
というあり方が、
一番重たいものならば、
全く逆にある
”自分は正しくない”
というあり方が
軽くあるための
ヒントかなと思います。
今ここから一歩ずつ、
時代遅れと呼ばれる
戦いのエネルギーを手放し、
新しい時代を満たすであろう
調和を軸として
生きていければ最高ですね。
今日も読んでくれて
ありがというございます。