実践レポート
正しい食とは? 実践レポート① 2人の祖母が教えてくれたこと
2024.11.11
こんにちは。
対話じかんのあさみです。
今日は今回の対話
「正しい食とは?」
についての
実践レポートを
書きたいと思います。
今回の対話で初めて
”食” という文字の
意味を知りました。
本来 ”食” とは
「人に良いもの」
であること、
とりわけ日本人という
肉体の個性に
そったものが
私にとっての
正しい食である
ということを
知りました。
また魂さんは、
私の田舎の祖母の食を
振り返ってみることを
教えてくれました。
当然のことながら
私には2人の祖母がいて、
どちらも
大好きな存在ですが、
すでに2人とも
他界しており、
その2人の健康の違いは
私にとって
ひとつのテーマでした。
私が食に対して
疑問を持ち、
見直すことになった
きっかけは
まず第1に
自分の不調です。
そして第2の理由は
2人の祖母の
健康の違いなのです。
身近にいた祖母は
若い頃より
病気を繰り返し、
脳腫瘍の手術や、
持病として糖尿病、
骨粗鬆症を持っており、
最終的には
ガンになってしまいました。
こうして色々な
病気を経て
他界したわけですが、
祖母は医師の指導で
骨粗鬆症のために
毎日欠かさず
牛乳を飲んでおり、
処方された薬を
飲んでいました。
そんな祖母は
朝食の食パン習慣があり、
蕎麦やうどんといった
麺類を好み、
何より甘いものや
果物が大好きでした。
私は祖母の
そばにいたことから、
こういった
食生活をしていたことを
よく覚えています。
もう一方の田舎の祖母は、
入院や通院などとは無縁で、
祖母の最期に立ち会った
祖父によると、
死ぬその日まで家で過ごし、
祖父の昼食を準備した後に、
少ししんどいと言い、
別室へ
移動しようとしたとき
胸を押さえたかと思うと
あっという間に
亡くなったということです。
こうして田舎の祖母は、
一度も入院や
手術をすることもなく、
ピンピンコロリの
大往生でした。
印象的だったのは、
2人の祖母の
お骨の違いです。
骨粗鬆症のため
医師の指示に従って
毎日牛乳を飲んでいた
祖母の骨は
スコップですくうほどの
もろさで、
田舎の祖母の食卓には
乳製品は
一切なかったものの、
立派で丈夫なお骨でした。
骨粗鬆症という差異は
もちろんあったのですが、
これが
強烈な印象となりました。
私の中で
「この差は何なのか?」
ということをずっと考え、
行き着くひとつの答えが
食事でした。
田舎へは夏休みになると
姉妹で1ヶ月ほど滞在し、
冬休みになると
お正月明けまで
過ごすといった帰省を
繰り返していました。
この習慣は
部活が始まっても、
受験の年であっても、
社会人となっても、
結婚しても、
祖母が他界する
20代後半まで続きました。
それほどまでに、
私にとって田舎の祖母は
大切で大好きな存在でした。
だからこそ、
私には祖父母の食事が
どういったものだったのかが
よくよく分かります。
はっきり言って、
子どもの頃の私からすれば
つまらない食卓でした。
妹がほとんど
何も入っていない
冷蔵庫を開け閉めしては、
「何にもないよ!」
と言っていたことを
思い出します。
そのたびに祖母は
「ばぁちゃん家は
なんでもある。
裏の畑に行きゃ
なんでもある」
と言っていました。
ハンバーグもとんかつも
オムライスも、
ケーキも
ポテトチップスも
一切ない
祖母の食卓でしたが、
私たち姉妹は帰省すると
必ず体重が増えたものです。
毎日祖母と一緒に
裏の畑へ出向き、
採れた野菜を
シンプルに調理するのです。
採れたての
とうもろこしの味は
忘れられないほどに
美味しく、
夏の畑には、
きゅうりやトマト、
かぼちゃや茄子など、
なんでもありました。
祖父母宅の食卓には
季節それぞれの漬物、
自家製の干し椎茸や
市販のいりこで取った
だしの味噌汁、
野菜のおかずが中心で、
週に1度ほど豆腐や、
たまに飼っている
鶏の卵が並びました。
祖父は毎晩焼酎を
1杯ほど飲んでいましたが、
コーヒーなどを
飲む習慣は一切なく、
自家製の緑茶が
飲み物です。
今この年齢になって、
ようやく気づくことが
沢山あり、
祖母にもっともっと
教わりたかったと
思うことが
山のようにあります。
そしてあの素朴な味、
無農薬のお茶、
採れたての
とうもろこしの味、
味噌汁や漬物などが
いかに贅沢であったかを
思い出すのです。
私自身、これこそが
家庭料理と信じて
色々なものを
作ってきました。
それは私の母の
レシピでもあるのですが、
ハンバーグや中華、
餃子やパスタなど
レトルトではなく、
手作りをしてきたことで
「これが正しい」と
信じてきたように
思います。
しかし娘は
度重なる便秘で
夜中に大泣きし、
何度夜間救急に
駆け込んだか数え切れず、
幼い頃より
鼻炎や中耳炎を
繰り返していました。
夫は気管支炎から
年中咳をし続け、
夫婦そろっての
頭痛持ち。
私は副鼻腔炎から
万年鼻が詰まっており、
アトピーなど
不調のオンパレードでした。
今思えば
恐ろしいことなのですが、
これら家族の症状は、
腫瘍やガンなどの
重症なものではなく、
糖尿病といった
持病でもないため、
どこかで
安易に捉えていました。
便秘や頭痛、
鼻炎などは
誰もが持っている
プチ不調だと
片づけていたのです。
娘が中耳炎になれば、
抗生物質を
処方してもらい、
アトピーには
ステロイドを使い、
鼻炎や気管支炎には
様々な薬を処方してもらう。
このようにして
不調になれば、
すぐに病院へ行くことは
正しい処置であると
信じてきたのです。
けれど、
どれも根本的には
治らないのです。
その場しのぎの
対処はできても、
娘の便秘や私の鼻炎、
夫の咳は
解消しないのです。
以前も
グルテンフリーの効力や
私たち家族に起こった
激変と感動を
長々と書いたのですが、
ただグルテンを抜いただけで
もたらされた
プチ不調の一掃は、
(もちろん体質的に
合う合わない部分が
あるにせよ)
ものすごい
インパクトがありました。
グルテンフリーを始めて
3日目の朝、
布団の中で、
あれ?鼻がスースーする。
という
あの感覚と衝撃は
忘れられません。
私は長らく忘れていた、
鼻が通るという感覚を
あのとき改めて
味わったのでした。
しかし魂さんは
今こそ
正しい食へ戻りましょう
と言ってくれています。
グルテンフリーをしたから
大丈夫ではなく、
正しい食、
即ち
田舎の祖母ごはんのような
日本人が守ってきた
食に立ち返るときであると
言ってくれています。
グルテンフリーが
うまくいった私は、
いわば戦後の家庭料理を
軸とした考えから
抜けきれず、
普段の食から
グルテンや
カゼインを抜いたから、
もうそれで充分だとすら
思っていました。
けれど、
◯◯フリーといった
除去食の発想ではなく、
そもそも根本的に正す
タイミングのようです。
そもそもの「食の軸」は
私が生まれてからずっと
慣れ親しんでいる
戦後の家庭料理ではない
ということです。
そこで、
グルテンフリー・
カゼインフリーは
今まで通り継続しつつ、
プラス砂糖と植物油を
カットする食生活を
スタートすることにしました。
今現在でおよそ1ヶ月半
くらいのところにいます。
この経験で
気がついたことや
変化などあれば、
また実践レポートで
書きたいと思います。
今現在の私は、
田舎の祖母ごはんに
戻る前の、
中毒作用を
抜く段階にいます。
私の場合、かなりの
植物油中毒だったようで、
今油ものが
食べられないのが
無性に
ツラいときがあります。
ポテトチップスや
マヨネーズ、
揚げ物が食べたい!と
強烈に思うのです。
ただやると決めたら、
やりたくなる
実験好きな個性なため、
これからの心身の変化が
楽しみです。
精度の高い選択を
必要とする
時代の移行期だからこそ、
食事から正し、
健全な肉体と
健全な精神を
取り戻すプロセスを
丸ごと楽しみたいと
思います。
今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。