対話メッセージ

感謝しない人に腹が立つ

2026.06.01

対話メッセージ 感謝しない人に腹が立つ

Q.
愛する魂さん、
おはようございます。

今日は日々の中で
よく見かける場面について
質問させてください。


つい先日のことですが、
知人の女性が
「Aさんに
プレゼントを送ったのに
お礼を言ってこない」
と言って立腹している
場面に立ち会いました。

私の母も
自分自身の経験や、
周りの人から
見聞きした内容について
「お礼を言わないのは
常識的に考えて間違っている」
といったニュアンスのことを
口にしているように思います。

そして何より私自身にも
「◯◯してあげたのに
感謝がない」といった感情が
確実にあるため、
知人女性や母の言い分が
充分に理解できます。


そこで質問です。

この怒りや
批判の正体は
一体何でしょうか。

この感情や感覚の原因は
どこにあって、
これはどのようにすれば
手放せるのでしょうか。


教えてください。
お願いします。













A.
愛するあなた、
おはようございます。

日常に多く溢れる
似たような場面。

こういった
具体的な質問に
ワクワクします。

さぁ、今日も
リラックスした心地で
この問いについて
見ていきましょう。


今回の場合、
知人女性やあなたの母親、
そしてあなた自身にも
共通してあるのは

「他者に対して
◯◯してあげたのに、
自分が期待していたような
反応がない」
という不満です。

これは
あなた方のみならず
多くの人も同様に
味わっている不満です。


ではどうして
「◯◯してあげたのに
お礼がない」という不満を
持っているのかと言えば、

<してもらったことに対しては
ちゃんとお礼を言うべきだ>
という観念を
持っているからです。



”観念” というキーワードは
元々仏教における言葉ですが、
今多くの人が捉えている
意味からすれば、
「特定の物事に対して
持っている強い考え」
のことであり、

”観念” は人生を通して
あらゆる場面で学び、
その考えを
育てていくことで
強固にしている
個人個人のものです。



もちろん、国や宗教、
社会、年齢や性別など、
それぞれの中で
育てられている
共通認識のような観念も
存在していますが、

そういった強固な考えが
今回の場合共通している
ということです。


結論から言えば、
”観念” は紛れもなく
重さであり、

旧時代とあなたとを
繋ぎ止めておく
”おもり” や
”錨(いかり)”のような
役割を担っています。

観念や思い込みは
新しい時代では
ほぼ無用です。



特定の社会
(国や団体、会社、
コミュニティ)などで
その場所が持っている
観念を共有している方が
スムーズかつ
優位に働く場面も
多々あるでしょうが、

新しい時代は
”個の時代” であり、
同時に
”自立の時代” ですので、


はっきり言えば観念は
ひとつでも少ない方が
時流エネルギーに沿っており、
自分に対しての裁きや
他者に対しての
批判がないため、

軽く自由であり
何よりラクです。



そういった意味で
「観念はひとつでも多く
手放した方が楽しそう」
という私とあなたの
共通認識がある上で
この先の対話を続けます。


※そうは言っても
常識的に考えて
感謝はちゃんと
言うべきだと言う人や、
今属している
社会での観念を
手放したくない人、

今あるものを
手放さないことが
安心という人にとって
この先のアドバイスは
不要ですので、
この先も自分の観念を
大切にしてもらいたいと
思います。



さて、私とあなたは
観念という重さを手放す
という方向で
この先を続けていきます。

あなたの経験上、
観念というものには
強烈な重さがあるのが
体感として分かりますね。

「◯◯すべきだ」が
強ければ強い人ほど、
〇〇しない人に対して
猛烈な怒りや
苛立ちを覚えます。


知人女性の怒りは
相当なものでしたし、
数年前のパンデ◯ックでも
見られたように、

マスクすべきだ!という
観念が強い人ほど、
マスクしていない人を
強く非難し、
実際そういった場面も
見受けられました。


その他にも、
仕事すべきだ。
結婚すべきだ。
出産すべきだ。
2人以上は産むべきだ。
時間は守るべきだ。

女性も稼ぐべきだ。
感謝すべきだ。
夫(男)は◯◯すべきだ。
妻(女)は〇〇すべきだ。
子(学生)は◯◯すべきだ
・・・と、

こういった
数え切れないほどの
観念を軸に、
自分を裁き、律し、
観念に反している
他者に対しては
怒りを感じますが、

こういった場合は
大概 ”マイ(My)観念” が
立ち上がっているときです。

この感情が
自分の観念のありかを
知る上で役に立つ、
とても分かりやすい
ポイントです。


今回の場合、
「自分で勝手に、
相手から頼まれていないこと
(お節介)をして、
それを相手に押しつけた上に、

どうしてお礼を言わないんだ!
と憤る茶番」
をしていることに
早く気がつくことです。


相手にしてみれば、
頼んでもいないことを
勝手にされた上に
お礼を要求されるという、
いわばパワハラを
受けているのと
同じ状態です。


自分が勝手に
相手にしたいことを
させてもらった
(押しつけた)のですから、
お礼を言うのは
お節介をした
自分の方です。

世間の多くの人たちが、
いかにこのような
ムダな茶番をして、
せっせと人生を
浪費しているかが
よく分かりますね。


では観念を手放すには
具体的にどうすればいいかを
見ていきます。

観念を手放すには、
3つのステップを踏みます。


①まず最初に ”マイ観念” が
どこにあるのかを探します。


探す方法は
先ほど言ったように、
他者への怒りや苛立ちが
ある場所にありますので、
そこを丁寧に見ていきます。


<夫(妻)が
◯◯してくれないから
夫(妻)が悪い>
という場面や、

<Aさんは感謝しないから
Aさんは非常識>
といった相手を批判する
場面をよく見かけますが、

悪い・非常識なのは
他者なのではなく、
あなた自身にそれだけ
強烈で重たい観念が
あるということです。


いつも言っているように、
あなたに他者はいません。

今回の場合、
他者を通して見ているのは
あなたの重さです。


②次に◯◯すべき。
と思い込んでいるのは
自分が持っている

個人の観念、

すなわち
”マイ観念” なのだと
認識します。


「私には
◯◯すべきという
観念があるな」と
しっかり自分で
認識するのです。



③最後に声に出して
「私は◯◯すべきという
観念を手放します」
と宣言します。



①探す
②認識する
③宣言する

この3つのステップで
完了です。



もちろん認識して
1回声に出して
宣言しただけでは、
観念が完全に
消失することは
ありません。

あなたの持つ
”マイ観念” は
長年かけて
あなたの中で育てて
きたものだからです。

ですから再び
◯◯すべきという怒りが
他者を通して
認識された場合は、
声に出して
「手放します」と宣言し、

これを何度も
繰り返すことによって
徐々に小さく
溶かしていきます。


他者に対して
怒りや苛立ち、
ときに絶望すら
味わうことは
どろっとした塊のように、
何とも重たく居心地悪く
感じられることでしょう。

しかし私からしてみれば、
その重たい感覚は
”マイ観念” のありかを
はっきりと示す
宝もののようなものです。


モグラたたき
ゲームのように、
不意に顔を見せる
あらゆる ”マイ観念” を
どうぞひとつでも多く
手放して、

さっさと新しい時代の
新しいエネルギーへと
移行しましょう。



愛していますよ、心から。

これからもひとつでも
多くの軽量化を
共に楽しんでいきましょう。


それではまた
お会いしましょう。

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