対話メッセージ
正しい食とは?②
2024.11.04
今日は「正しい食とは?」
という対話の
前回の続き
(後半)となります。
幸いなことに、
あなたには
田舎の祖母との思い出が
たくさんあります。
その中には
祖母のごはんが
記憶にあるはずです。
農家であった祖父母は
米を作り、
大豆を作り、
味噌や豆腐を作り、
野菜を作り、
こんにゃくを作り、
茶葉を作り、
季節それぞれの漬物を
作っていたことを
思い出せますね。
肉を食べるのは、
盆と正月の
ハレの日だけであり、
裏の畑で採れたものが
おかずの中心でした。
油や砂糖を使うことは
多少あったものの、
ごはん、味噌汁、
つけもの、野菜、
豆腐などの
ごくごくシンプルな
食事であったはずです。
遠い町へ
出かけなければならない
買い物へはほとんど
行くことがないため、
食卓にのぼるものは
ほぼ家の周りに
あるものです。
ましてや、テーブルに
パンや乳製品、
スイーツが並ぶことは
なかったはずです。
小麦もごくごくたまに、
「ほうとう」のように
味噌汁に入れたり、
ハレの日の
お団子にする程度で
常食はしていませんでした。
エネルギーを示す
「気」という文字も、
かつて「氣」という
文字であったように、
真ん中に米という
文字がくることも
とても興味深いものです。
これもまた、
先人からの
伝言になります。
今や多くの人は、
いわゆる口だけの幸せ
”口福” ばかりを
先行した食に走り、
舌だけが幸せな食は
脳が中毒化
しているだけであり、
本当に良い食とは
程遠いものです。
現代の人は
食とスマホで
中毒化されており、
自分ではまともな判断が
ほとんど
できなくなっています。
ケーキが好き。
スナックが好き。
パスタが好き。
ラーメンが好き。
チーズが好き。
パンが好き。
カフェオレが好き。
などと、
人はさも自分で考え、
自ら選択しているように
振る舞いますが、
私からみれば、
仕掛けられたことに
どっぷり
中毒しているだけです。
そして中毒化したものを
指摘されると、決まって
「そんなに食べていない」
と言いますが、
薬物依存者と同じ
言い訳をしているのが
何よりの証拠です。
完全なる
ジャンキーであれば、
「◯◯を辞めるくらいなら
死んだ方がマシ」
とまで言いますね。
それはつまり
脳内麻薬に
抗えないからです。
田舎の祖母の食卓に、
ケーキもスナックも
パスタもチーズも
ありませんでした。
いいですか。
これが答えです。
日本人の肉体組成を
形成したきた
長い歴史を
見てください。
戦後に始まった
ここ数十年の食は、
もはや
食ではありません。
食という字は
「人に良い」
と書くのですから、
ここ数十年の中毒品は
ただ脳を麻痺させる
モノであって、
決して
食ではありません。
あなたの祖母が日々
口にしていたのような
伝統的な食こそが
日本人である
あなたにとっての
”正しい食” です。
もちろん、日本人以外の
民族であれば
肉体組成と
それを形成してきた
歴史が異なるのですから
”正しい食” もまた
異なります。
あなたの生まれた
土地のものを
食べることです。
「身土不二」という
キーワードがあるように、
あなたの
生まれた土地のものが、
あなたの体に
一番合っていますし、
何より
手に入りやすいことから
エネルギーに溢れています。
遠い国から
運ばれてきた食材は、
口福を除く
あらゆる観点から見れば
全く必要ないものです。
そろそろ目を覚まして、
正しいところに
戻るタイミングです。
食は肉体を作ります。
健全な肉体は、
健全な精神をつくります。
健全な精神なくして、
四六時中
酔ったような状態では、
まともな
判断選択はできません。
あなたが
口にしようとしている
それは、
本当に食べものですか?
無意識的にスーパーの
カゴに入れているそれは、
本当に食べものですか?
家族が好きだから。
毎日欠かさず
食べいるから。
健康的だから。
特売していたから。
そういって感覚的に、
または多くの理由を持って
それを選択していますが、
本当に「人に良い」
食べものなのかを
冷静に見てみてください。
自分が何に
中毒していたかを見極め、
それから
距離を置くことです。
スマホ同様、
完全に距離さえ置ければ、
心身が
正しい位置へと帰り、
目覚めることは
容易になります。
正しい食へ戻るには、
まずは1ヶ月間
中毒品を
完全に断つことです。
3ヶ月続ければ、
あなたの意識は
鮮明になり、
舌の感覚も
正常化してきます。
今日伝えられることは
以上です。
愛していますよ、
心から。
それではまた
お会いしましょう。