実践レポート

宗教とは何か? 実践レポート① 信仰からの自立

2025.12.22

宗教とは何か? 実践レポート1 信仰からの自立

こんにちは。
対話じかんのあさみです。

今日は今回の対話
「宗教とは何か?」
についての
実践レポートを
書きたいと思います。


まずはじめに、
今回の対話テーマは
”宗教” だったのですが、
宗教をひとくくりにして
捉えることは不可能であり、

人それぞれが
多種多様に持つ信仰を
否定するつもりは
ありません。


ただ新しい時代になった今、
宗教というものに
変化はあるのだろうか?
といった興味があったため、

ではそもそも
宗教とは何か?
という疑問が
今回の対話の
きっかけになりました。


宗教というのは、
前回の対話テーマであった
”情報” と同じように
世界的かつ
歴史的に見ても
強大な力を持っています。


前回同様に
今回の対話メッセージの
量も多かったため、
2回に分けて
ご紹介しました。


魂さんからのメッセージを
素直に受け取るならば、
いかに私たちが
”洗脳” という檻の中で
飼われているかが
分かります。


対話の後半にあった
「宗教バイヤスから離れ、
一度立ち止まって
冷静に考えてみよう」
というフレーズは

自分にある洗脳から
一旦離れる
力強いメッセージに
なっていました。


両親がそうしているから。
祖父母がそうしていたから。
そのまた曾祖父母も
そうしていたから。
というように、

宗教的なものは
代々さかのぼって
踏襲している部分が多く、
生まれてからずっと
「そういうもの」として
刷り込まれています。

両親が新興宗教などを
信仰している
場合であっても、
子どもに信仰が
受け継がれている、
いわゆる ”宗教2世” も
多く見受けられます。


例えば、自分の実家は
先祖代々
〇〇寺の檀家であり、
葬儀は当然のことながら
◯◯寺で行ってもらい、
戒名が必要で、
たびたび
法要を行ってもらい、
お布施をして・・・等々、

一度立ち止まって
考えることもなく、
「そういうもの」として
受け継いでいるものは
数え切れないほど

あるのでは
ないでしょうか。



日本人として
文化やその精神を
受け継いでいくことの
大切さは
もちろんあると思いますし、

信仰そのものを
否定するつもりも、
両親や家族に
信仰を捨てて欲しい
といった
考えもありません。


しかし宗教も含めた
「なんとなく、
そういうもの」という

無意識的な選択を重ねて
人生は作られている
と言っても
過言ではないことを
今回の対話で

痛感しました。


巷では
正しい参拝方法であるとか、
先祖供養の方法であるとか、
こうした方が良いといった
”決まりごと” が
あちこちで聞かれ、

私としては、
覚えきれないほどある
これらルールと
どのように
付き合えば良いのかが
ずっと気になっていました。

今回こういったルールには
エネルギーなどを考慮した
真っ当なものがある一方で、

中には宗教側の
権力維持のために
存在しているものが
あることを知りました。


それこそ
気の遠くなるような
長い時間をかけて
宗教は存在しており、
多くの人々の生活に
根ざしています。

しかし魂さんは
「宗教は支配存在のツール」
と言っています。


少々乱暴な
言い方になりますが、
いわば奴隷を
扱いやすくするための
ツールであり、
奴隷育成のための
洗脳として
宗教を利用してきた
流れがあるようです。

また宗教が指す ”神” とは
彼らを意味している
という部分は
恐ろしく感じると同時に、
今まで宗教に対して
抱いていた矛盾を
解消してくれるものでした。


宗教では神や仏といった
畏れ多いものを
掲げているがゆえに、
その権威にひれふす
心理を利用してか、
宗教による
戦争はもちろんのこと、

宗教という立場を悪用した
性暴力やカルト化など、
”正しい教え” のもとに
不合理なことが
まかり通っているように
感じます。


そうは言っても
神道は
多少違うのではないか?
私の信仰する◯◯教では
世界平和を祈っているから
大丈夫。といった
声もあるでしょうが、

魂さんは
私が特定の宗教を
ピンポイントで
尋ねたわけではないため、

もっと大きな視点から
見たことろを
伝えてくれているのであり、
そこはご理解いただければと
思います。


今回の対話で
私が心に残ったところは、
「あなたの外側に神はいない」
というところ。

そして
「新しい時代は内なる自己と
つながる時代」

というところです。

そもそも
この世界のどこにも、
私に罰を与える存在は
いなかったのだと
目の覚める思いです。



情報、宗教と続けて
対話してきたことで
感じたことは、

私たちの外側に
目を向けさせるための
仕掛けづくりが
支配存在の役割の
ひとつなのではないか
ということ。

いかに日々私たちが
外側のあれこれに
エネルギーを注いでいるかで、
それが分かる気がします。


とはいえ、
私はお墓参りや
神社参拝が好きです。

バチが当たるから
であるとか、
何かしらの
祈願のためではなく、

ただただその時間が
ほっとするものだからです。


自分にある
こういった感覚は
大切にしながらも、
供養をしっかりしないと
バチが当たるかも
といった恐れや、

神社参拝しておいた方が
有利だろう
といった下心が
ほんの少しでもあるならば、
そこは完全に
手放そうと思います。


今回の対話を終えた
私個人の感想としては
「やっぱり宗教も
また彼らのものか~」
と深く納得して
しまいました。笑


あなたの信仰の中には
どういった観念が
あるでしょうか?

魂さんからのメッセージで
少しでも
見直すきっかけになれば
嬉しいです。


今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。

SHARE

RELATED関連記事