実践レポート

3回割れたガラスのサインは? 実践レポート① 観念さがし

2025.08.25

3回割れたガラスのサインは? 実践レポート1 観念さがし

こんにちは。
対話じかんのあさみです。

今日は今回の対話
「3回割れたガラスのサイン」
についての
実践レポートを
書きたいと思います。


あらかじめお伝えして
おきたいことは、
今回の対話はかなり
個人的なものであり、

3回ガラスが
割れたサインが、
必ずしも
今回の答えになる訳ではない
ということです。

けれど
自己犠牲を演じることは
多くの人にとっても
通じるテーマではないかと
感じたので、

直近で行った対話を
そのままの形で
シェアさせてもらいました。



今回魂さんの
痛烈な指摘に
何度も背筋が伸びる
思いがしましたし、

何度も痛いところを
ズバリと突かれたことで、
笑えてくるほど
私にとっては
突き刺さる内容でした。

「あなたのサポートは
あなたが思っているほど、
家族にとって重要ではない」
とキッパリ
言われたときには、

さすがに
書き出している最中に
笑い出してしまいました。



乳児を母乳で育てている
タイミングならまだしも、
日々の昼食を
娘が切望している
訳ではないことを
私なりに分かっていますが、

それでも
「お母さんがいてくれて
助かる」と
言われたいのでしょうか。

また、たとえ
何も言われなくても、
私は家族の役に
立っているんだ。
と自分で納得
したかったのでしょう。

要は、自分の役割や
生きがいのようなものを
家庭の中に
見出そうとしていた私です。



今回の魂さんは
何度も笑っていましたね。

抽象度の低い
質問に対しても、
いつもと変わらず
同量のエネルギーで
私の重さを真っ直ぐ
指摘してくれることを
心から有り難く感じます。



今回ガラスが割れる
というサインを通して、
「あなたの自己犠牲を
そろそろ止めなさい」
という警告を
もらった訳ですが、

私は一体何を大切に
しているのでしょうか。


私は誰に何を
遠慮しているのでしょうか。


仮に私が
夏休みの昼食作りを
パスしたところで、
誰に申し訳ないと
感じるのでしょうか。

体調が悪いときにも、
少しでも体が動けば、
それこそ
奮い立たせるようにして、

やれることはしようと
やってきましたが、
これは誰に対する
頑張りだったのでしょうか。


今日は気分が乗らず、
夕飯は作っていません。
掃除はできていません。
と言って、

夫が声を荒げるとか、
娘に責められるようなことは、
しあわせなことに
私の家族においては
決してありません。

それなのに、私は
自分を責めるようにして、
無理強いをしているのです。


今回、そのあり方を
正しいとすら
信じ込んでいる、
強力な観念があることを
見つけました。



私の中で、
この対話の中で
最も大切だと
感じたところは

「自分を生きることは
貢献であり、
自分を生きないことは
損失である」
というところです。


自己犠牲という癖は
ついつい無意識に
やってしまうレベルの
根深さですが、

それが損失となるなら、
できるだけ
手放したいと思います。


ただ現時点において、
私は自己犠牲を
正しいと思い込んでおり、

その根底には
自己犠牲を必要とする
強力な観念があります。


この自己犠牲の
根っこにある、
強力な観念を
見つけないことには、
手放すことは
なかなか難しく
手強いものです。

一朝一夕では解消しない
テーマでしょうが、
ここから丁寧に
見ていきたいと思います。



それと同時に、
私がここから
実践したいことは、

今後一切
家事を放棄します、
今後一切
自分の役割をやりません。
といった極端さではなく、

今の私にとって
どのくらいの関わりが
ベストなのかと
最良のバランスを
見つけることです。



また妻でも母でも
〇〇さんでもない、
「本来の自分でいることの
比重を増やしていく」
という工夫も必要です。

私の個性として、
家にいるタイミングは
ついつい家事のことや
家族のことに
気がいってしまい、
なかなか
”ワタシ” でいることが
難しいのです。


どうすれば
”ワタシ” の比重を
増やせるか?についても
本気で考えたいと

思います。


自己犠牲の根底にある
観念さがし。

重たいテーマでは
ありますが、
だからこそ
ワクワクしている
私がいます。



この観念を
どうやって見つけるか?

魂さんに尋ねるか。
瞑想するか。
書き出していくか。

色々な方法が
思い浮かびますが、
今後新しい発見があれば
シェアしていきたいと
思います。


今日も読んでくれて
どうもありがとうございます。

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