実践レポート

「2025年7月 終末予言ブームについて」 実践レポート① ”今ここ” を生きるギフト

2024.03.06

2025年7月5日終末予言ブーム 実践レポート1 今を生きるギフト

終末予言 ”ブーム” と
対話の際には
尋ねてみたものの、

ブームを超える勢いで
あらゆる分野の人が
発信している

2025年7月5日というXデー。



地球滅亡までの
レベルでなくとも、

世界中で同時多発的に
何かが発生するのか、

日本に未曾有の天変地異が
もたらされるのか。


そのXデーの正体が
大災害なのか、
ウイルスなのか、
隕石落下なのか、

何かが複合的に
発生するのかは
分からないものの、

スピリチュアルや
都市伝説といった
枠を超えて

その情報は拡散し、
今猛加速で
まことしやかに
囁かれています。



これは
”2025年7月” と調べれば、
山のように溢れている
終末予言の情報で
うかがい知ることができます。



私の場合、2年ほど前より
そういった情報を
知る機会があり、

その後、SNSなどで
いくつか視聴することも
ありましたが、

今年に入ってからというもの、
私の周りでも
Xデーに関する話題を
耳にすることが
増えてきたように思います。



数年前に発生した流行病でも
顕著になった
地球の周波数変化を、

今回の終末予言においても、
ひしひしと感じるところです。



実際こういった情報を
見聞きすることで
多少の不安もありますが、

それ以上に
「実際どうなのか?」という
疑問の方が強く、

その感覚を
魂さんに投げかけてみた
今回の対話となりました。



ただ終末予言が
ここまでブームになるのは、
人の心理とも言うべきか、

今の季節なら
温かいこたつにでも
あたりながら、

安全な場所から
国内外の惨事や恐怖を
垣間見て、

ひどいなー、
こわいなー
と言うのを好む

”お茶の間ムード” によるもの
かもしれません。



2025年7月の真偽はさておき、
今回の対話の中で、

魂さんは
「地球自体が
寝返りを打ちたいという
希望がある」

という表現を使っています。


たとえXデーが
来年でないにせよ、
地球にその意思があるのなら、

遠くない未来に
未曾有の大災害のようなものが
もたらされる可能性が
あるのかも知れません。


昨今のあらゆる災害なども
地球の意思によるものか、

一見自然発生のように見えて、
人為的なものなのかは
分かりませんが、

それらを精査する好奇心が
私には全くないため、
その点について言えることは
何もありません。



ただ笑ってしまうくらいに潔く、
魂さんは
「大丈夫、寿命までは
生きられます」

と言っています。



終末が来るぞ!来るぞ!
と騒ぎ、
おろおろして、
せっせと備えても、

その前にあっさりと
事故で亡くなるかも
知れないのです。



多くの人は自分の寿命を、
日本人の平均寿命や、
親族の寿命などと
照らし合わせて
アタリをつけているように
思います。


例えば現在40代半ばの私が、
「人生の折り返し地点にいる」
と把握するようなものです。



けれど、本当のところは
誰にも分かりません。

知っているのは、
寿命プログラムだけです。


たとえ私の寿命が
明日だとしても、
私は胸を張って、
寿命まで生きられるのです。



魂さんは今回の対話の中で、
何度も
「今ここを生きることの大切さ」
を伝えてくれています。



そしてまた、
「あなたの中心ほど
賢いものはない」

と断言してくれています。



だからこそ賢い私たちは
この予言を
「人生を目一杯楽しみ、
今を生きるギフトに変えられる」

と言うのです。



それが分かると、
私たちの人生に悪いことは
何ひとつ起こらない
気さえしてきます。

すべてがギフトに
昇華できるのですから、
苦楽を問わず、
人生は楽しんだもん勝ち
なのでしょう。



終末予言のもたらす、
ネガティブな
集合意識の顕在化と、
”今ここ” の不在、

そして恐怖心を助長させ
コントロールしやすい
思惑があるのなら、

私たちがすることは
ただひとつです。



オセロゲームのように
そのすべてを
ひっくり返して生きること。


ポジティブな
イメージを持って、
”今ここ” を目一杯生きて、

恐怖をどんどん
手放していくということ。



私は今回の対話を
そんな生き方を選択する
機会にしようと決めました。



新しい時代の
2大ルールのひとつは、
”軽くあること” です。

それに対し、 ”恐怖” は
とてつもなく
重たい感じがします。

つまり恐怖は
新しい時代にそぐわない
感覚である気がします。



もたらされる災厄が
地球の意思によるものか、
人為的なものかは
定かではないにせよ、

発生したときは、
「そうか。
それが大いなる流れなのだな」
と信頼し、俯瞰し、

恐怖を
どんどん手放した人こそ、
新しい時代の新しい人類
なのかも知れません。



そして
魂さんが念押ししたことに、

備えてもいいが、
あくまで恐怖を
スタートにしてはならない
ということです。



つまり
”前向きに備える” とは
どういうことなのか?


このあたりについては、
次回機会があれば、

魂さんに尋ねてみたいと
思っています。



”今ここ” を
目一杯生きることで、

この先の未来が
とても楽しみに
なってきました。


魂さんがいてくれて、
本当に良かった。



今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。

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