ひとりごと
「やりゃあいいじゃん」
2026.04.13
こんにちは。
対話じかんのあさみです。
今日は
ゆったりとした気分で、
ついつい
無意識に行っている
「自分への許可」について
書いてみたいと思います。
突然の質問ですが、
皆さんは大人は
自由だと思いますか?
色々な意見が
聞かれそうですが、
今子育てをしている
私の個人的な意見としては、
子どもよりずっと
大人の方が自由なのでは?
と感じます。
大人になって自立しており、
常識の範囲内で
自分の責任においてならば、
何をやっても自由と
言えるのでは
ないでしょうか。
すべての人が
そうだとは言えませんが、
日本に住む
多くの大人なら、
自分のしたいことは
自分の時間と
お金を使って、
自由に望みを
叶えることができます。
けれどそんな
基本的なことが、
私はほとんど
できていなかったことに
気がつくという出来事が
つい最近ありました。
少し話が逸れますが、
私が愛することに、
読書や映画鑑賞と
いったことがあります。
これらはつまり、
私が自分に対して
本は読んでもいいよ。
映画は観てもいいよ。と
無意識的に
OKを出していることを
意味しています。
例えるなら
ファッションなどは
千差万別であり、
人によっては
1万円までの
服ならいいけど、
2万円はちょっと・・・と
なんとなくの
値段を決めていたり、
この色はOKだけど、
この色は
チャレンジしすぎるから
やめておこうであるとか、
ユニクロはOKだけど、
デパートのブランドは
着ないから
見に行くこともない。
などと
決めつけていることって
ありますよね。
このように
人それぞれに、
自分にOKを
出しているものと、
NGを出しているものが
無意識的にあって、
それは無数にあるように
思います。
このOKとNG。
つまり自分への
許可と禁止を
なんとなく
設けておくことで、
自分の
セルフイメージを固め、
快適さや安心感を
守る一方で、
自分の可能性を
見ることなく、
自らを小さな枠に
閉じ込めている
という作用も
大いにあるように
感じます。
つい先日のことですが、
娘との会話の中で、
自分は何が好きか?
何に心惹かれるか?
といったお題で、
いわば
”ワクワク探し” をする
ゲームのような
遊びをしました。
お母さんは何が好き?
Mちゃんは何が好き?
他には何が好き?
どんなことをしてみたい?
などとテンポ良く
お互いに
尋ね合っていく中で、
私が
「フランス語が好き。
理由はないんだけど、
発音に惹かれるし、
昔ほんの少し
勉強していたんだよ」
と伝えました。
また次の
似たような質問では
「紅茶が好き」
と答えました。
私にとってお茶タイムは
なくてはならない
時間ですが、
その中でも特に
紅茶が好きなものの、
その熱量といえば
こだわりの茶葉を扱う
カフェに出向いたり、
名店の茶葉を買って
自宅で楽しむ程度です。
このゲームを通して
私が好きだったことや
ずっと気になっていること、
心惹かれることなどが
色々と浮上してきました。
しばらくして娘が
心底不思議そうに、
「なんで今はフランス語の
勉強をしないの?」
と尋ねてきたので、
「今のところ
渡航する予定もないし、
勉強して何かに
つなげたいわけじゃ
ないんだよね。
あくまで趣味だから」と、
思いつく
”やらない理由” を
答えました。
すると次は、
「じゃあどうして、
紅茶をもっと
勉強しないの?
資格とかないの?」
と聞かれたので、
「そうだね~、
カフェに出向いて
飲むだけで、
もっと深めようとは
考えたこともなかったな」
と答えました。
すると娘は
「お母さんさ~
自分が楽しいんだから、
それでいいんだから、
全部もっと
やりゃあいいじゃん!」と
こともなげに
サラリと言い、
そのセリフに私は
はっとする
思いがしました。
(そうか。
やりゃあいいのか・・・)
と深いところで
頷く感覚を
味わったのです。
大人になることは、
失敗を過剰に恐れたり、
快適さを守るあまりに
臆病になったり、
年齢のせいにして
億劫になったり、
仕事のため、
収入アップのためなどと、
何かしらの
結果のためだけに
行動するような
打算があったりと、
どんどんシンプルでは
なくなっていきます。
自分の本音や気持ちを
置き去りにして、
ただ頭だけで
判断する行動とでも
言うのでしょうか。
私の場合、
チャレンジしない
言い訳なら
無数に並べられる
知恵のようなものは
あっても、
やるための
工夫探しをする前に
そもそも諦める選択を
してきたことに
気がつきました。
親元で暮らし、
親の意向に左右されていた
子ども時代とは違って、
今や40代半ばの私は
年齢だけは立派な
大人なのですから、
自分の望むことを
いくらでもやれるのです。
本来
大人だからこそ楽しめる
自分の可能性を、
「できない・やらない・
ムダかも?」などと言って
封じ込めてきたことを、
娘が放った
たったひと言で
思い出しました。
細かい話をすれば、
今から実際に
フランス語を
学ぶ or 学ばないという
事柄に限定した話ではなく、
今の私が本当に
心惹かれること、
ずっとやりたいと
思っていたこと、
気になっていることなどを
アウトプットし、
今までのような
やらない・
できない理由だけを
並べて
判断するのではなく、
やるための
工夫を見つけて
実際に
行動していくことを
決めました。
私の無意識下で抱えている
無数にある
自分に禁止している
あれこれを、
「本当にダメなのか?
本当に
できないことなのか?」
と見直し、
例えば本当に着たい服を
着ていくであるとか、
行ってみたい土地を
旅してみるであるとか、
興味の赴くままに
学んだりすれば
いいんだと、
今は前向きに
開き直った心地です。
誰でも平等に
年を取ります。
自ら安心安全の
檻の中に入っていくような
窮屈な年の取り方ではなく、
(理想論かも知れませんが)
自由とチャレンジに溢れた
軽やかなあり方で
年を重ねて
いきたいものです。
「やりゃあいいじゃん」は
私が長年自分に
制限をかけてきた
見えない枠を壊す
強烈なメッセージに
なりました。
自分に
許可していくことは、
自分の可能性を
楽しむことに
つながります。
宇宙が「どんどん
やりゃあいいじゃん」と
全面でサポート
してくれるなら、
皆さんなら
何をやりたいでしょうか?
今日も読んでくれて、
どうもありがとうございます。
