実践レポート
親との問題について 実践レポート① 完璧な子育て
2024.09.16
こんにちは。
対話じかんのあさみです。
今日は、今回の対話
「親との問題について」の
実践レポートを
シェアしようと思います。
正直に告白すると、
私は30代半ばになるまで
ずっと母に対して、
心の中でのあつれきを
抱えてきました。
母があの時
こうしてくれなかったと、
母を許せず、
自分は被害者であると
思い込んできたのです。
しかし、この対話を
10年ほど前に
行ったことで、
私の親子関係は
一変しました。
これは私が
それまで生きてきた中で、
最も大きな変化を
もたらしてくれたと
言えます。
母が私の
スピリチュアルな個性を
とことん
否定してくれたからこそ、
私は自分の個性を
強く守り抜けたのです。
私の場合、
否定されることに
素直に従ったり、
簡単に折れるような
個性ではないため、
体調不良という形で
苦しさを
訴え続けながらも、
それを守ったのだと
思います。
母が望む私の姿と、
私の個性の対立は、
幼少期からずっとあり、
それは
あっという間のように
見えて、
気の遠くなるほどの長さで
息苦しく辛い季節でしたが、
それ以外は
母に愛してもらったことを
確信しています。
驚くことに、
私がかつての娘としての
立場からではなく、
一人の人間として
母に接すると、
母がとても
楽そうに感じます。
今現在、私が母の前で
スピな感覚を口にしても
「あーちゃんが
そう思うなら、
それが答えだよ」と
肯定してくれるまでに
変化しました。
これは母も子育てを
完全に終え、
プレッシャーから
自由になった部分が
あるのでしょうが、
何より
私が変わったのだと
感じます。
子は親への甘えから、
いくつになっても、
親に一番
理解してもらいたい
と望み、
”してもらっていないこと”
探しばかりを
しているように思います。
私の場合、
親がした子育ての
アラ探しをしては、
理解してもらえなかった、
応援してもらえなかった、
厳しく育てられた等、
不満ばかりを
口にしてきましたが、
冷静に思い返せば、
ちゃんと食べさせてくれ、
学校に通わせてくれ、
家で全うな生活を
させてくれた両親は
完全に親としての
責務を果たしており、
何より
してもらったことの方が
ほとんどなのです。
けれど、30代の頃の
私はといえば、
そんなことも
理解できていない
状態でした。
今、私は
親がしてくれたことに対し、
かつての時代を
肯定していくかのように、
過去してもらったことを
見つけては、
いちいちお礼を
伝えるようにしています。
してくれたこと
見つけをしていくと、
数限りなく
してもらったことはあって、
親への感謝は
増すばかりです。
何事もそうであるように、
要は何を見るか。
どこに光を当てるかで
見え方が大きく変わる
という体験を
させてもらっています。
私は「親がしてくれたこと」
見つけをすることで、
生きることが
楽になりました。
母がしてくれたこと。
例えば、
お弁当を
作ってくれたこと。
送迎してくれたこと。
お出かけに
連れて行ってくれたこと。
病院に
連れて行ってくれたこと。
私の入院時には、
毎日仕事が終わってから
顔を見に来てくれたこと。
田舎から上京し、
慣れない土地で
子育てをしてくれたこと。
もうすべてが
感謝でしかないのです。
もちろん親子とはいえ、
人間同士ですし、
遠慮がない部分もあって、
いまだに
厄介に感じる部分は
あります。
けれど、
私がこの人を親に選んだ
と思うと、
これ以上に
尊い経験はないのだと
思えます。
そしてまた、
長女として
「ちゃんとしなくては」という
生まれてからずっとあった
気負いを一掃したことで、
母のみならず、
妹との関わりも含めて
すべてが楽になり、
今や彼女たちは
かけがえのない存在となり、
心から大好きなのです。
「実家劇場」という
縛りが解けた今、
私は何をあれだけ
気負って、
反発していたのだろうと
思います。
それもこれも
今ここにいる私の中心が
何より大切で、
それを導いてくれた
母あればこそなのです。
今は一切の
気負いも照れもなく、
母に「お母さん大好き。
ありがとう」と
素直に伝えられるように
なりました。
私が深い部分で、
私の一番の応援者、
サポーターは母である
と分かったとき、
私を全世界が
味方してくれていることが
分かったのです。
それもこれも、
魂さんとの
対話のおかげです。
魂さん、
愛しています。
お母さん、
愛しています。
今日も読んでくれて、
本当にありがとうございます。